脳卒中入院 diary

脳卒中で入院していたときに思ったことなどを書いてみました

不自由なひとり旅 6

 脳卒中の後遺症の右半麻痺があっても車を運転したい。そうすれば自分で自由に好きなところへ行ける。免許はなんとか出来たし、身障者用に改造した車ももうすこしで納車というところまできた。納車を待つ間にもうひとつやることがある。それは、市役所から補助金をもらう手続きをすること。右半麻痺用に改造するのには左足アクセルと左手だけでハンドルをまわせるパーツ、そして左手でウインカーができるパーツの3点セットが必要だ。この3点セット取り付け工賃込みでなんと10万円もする。10万円は高い。実際にパーツをみると実に簡単な構造のもので身障者用ではなく普通のパーツだと思って見ればせいぜい3万円くらいのものにしか見えない。それが身障者用のものになると10万円に跳ね上がる。需要と供給の関係なのかなぁ。

 しかし、私のような貧乏な身障者にとってほんとうに助かる制度がある。市でやっている補助金だ。私の住んでる自治体では身障者用に車を改造する費用の7割を補助してくれる。それを活用すると10万円の改造費が実質3万円ですむ。ディーラーに改造した費用分だけの領収書を作ってもらい、市役所の障害者課にもっていって手続きをする。実際払った分の7割が後から口座に振り込まれる制度なので先に10万円は払わなきゃいけないけどね。改造が3万円で済んだのはほんとに助かった。実際に申請しようとする人は自治体によって細かいことは違うと思うのでホームページで確認してみてね。ちなみに身障者は自動車税が免除になるし高速道路が半額になる制度もある。利用できるものはありがたく利用させていただこう。

 そうしているうちに改造がおわり、とうとう納車の日がやってきた。青いホンダフィット左半麻痺仕様が駐車場にやってきた。ドキドキしながら乗ってみる。もちろん左足アクセルの車に乗るのは初めてだ。教習とかはなんにもなかったからね。駐車場でちょっと動かしてみる。概ね大丈夫だけど左足でブレーキを踏むときはちょっと急ブレーキのようにガクンとなる。スムーズにとまれるようになるにはちょっと練習が必要だった。とまどったのはバックでの車庫入れ。一瞬左アクセルとブレーキの位置関係が分からなくなる。これは慎重にやらないと危険だとおもった。練習をかねて近所をドライブ。三日もしたらほとんど大丈夫になった。脳卒中で倒れたときから約2年間運転しなっかったのだが感覚ってわりとすぐもどるもんだね。

 これで病院にも買い物にも好きな時に一人でいける。そしてこのブログのタイトルにある、「ひとり旅」にもいけるのだ。

 

 p.s.準備編は終わり次回からはほんとうに「不自由なひとり旅」が始まりますよ。 

 

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

  

不自由なひとり旅 5

 脳卒中の後遺症で右半麻痺。そんな不自由な体だけど左アクセル限定の運転免許はゲットできた。次は車をなんとかしよう。脳卒中になる前に乗っていた車は、長い間運転できないのに持っていると駐車場の賃貸で出費がかさむし車検もくるし、と考えて手放していた。

 左足アクセルの自動車といっても初めから左足アクセルで売っている訳ではなく普通の車を左足アクセルに改造しなければならない。ちなみに左半身麻痺の人はアクセルはそのままだが右手ギアに改造する必要がある。どちらかというとこちらのほうが大掛かりな改造になるらしい。

 まずは改造のベースにする中古車を手に入れなければいけない。なるべく安く手に入れようとインターネットで中古車をこまめに探した。同時に左足アクセルに改造する方法なども調べた。いろいろと調べていくと、中古車屋さんで購入してそれを左足アクセルに改造する業者にお願いするという最初に考えた方法は大変なことが多そうだ。体が不自由でフットワークの悪い私がひとりで手続きなどをするのは無理そうなので、多少高くついてもメーカーのディーラーさんにまとめてお願いすることにした。

 ホンダのディーラーに電話すると、すぐに営業の人がやって来た。新車のカタログをたくさん持ってきたが、なるべく安い中古車を探してそれを身障者仕様に改造してほしいと伝えた。たいして売り上げは上がらない割にそうとう面倒くさい客だ。それでも嫌な顔ひとつせずに聞いてくれた。

 数日するといくつかの中古車の資料を持ってやってきた。考えていた予算で収まりそうで好きな車種があったのでそれに決めた。ホンダのフィットだ。予算がないのでちょっと古い年式だが仕方ない。問題は左アクセルの改造の方だ。ホンダの人によると、障害者施設などに車を納車した実績はあるのだが、個人で左アクセルに改造というのを手掛けたことのある人がいなくて苦戦している、とのことだった。私がインターネットで調べたなかで一番わかりやすいサイトの業者を逆に教えてあげた。営業の人がそこの業者に連絡してそこから左足アクセルのパーツを仕入れることにしたらしい。

 右半麻痺の人が乗るための改造は、左足アクセル、左手だけでハンドルを回せるようにするパーツ、左手で操作できるウインカーのパーツの3点セットが必要だ。大掛かりな改造だと思いがちだが実際にみると簡単なものなんだね。左側にアクセルペダルをつけてそれを踏むともとのアクセルに渡してある棒でもとのアクセルが踏まれるというアイディア商品のようなものを取り付ける。工作の得意な人なら出来そうなものだ。ハンドルとウインカーにつけるパーツはドライバーさえあれば誰にでも付けられるものだ。でも、ちゃんと認可されたパーツじゃないと車検が通らないんだけどね。

 そんなこんなで車のゲットまでもう少し。

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

  

不自由なひとり旅 4

 

 脳卒中の後遺症で右半麻痺の体。それでも車に乗りたいと思い、身障者用の運転免許運転をゲットしようと動き始めた。下調べから書類を揃えるなど約一ヶ月かかって実技試験までたどりついた。住居地の運転免許センターに午後1時にいくと、女性の職員が車椅子をもってきて待合室まで案内してくれた。すぐに担当者が来ますのでこちらでお待ちくださいといわれ一人で待っていた。いったいどういうう試験をするのだろうとドキドキしながら待っていた。ところが、なかなか来ない。三十分経っても来ない。電話で一時からと予約したのに遅い。一時間ほど待たされてやっと試験官が入ってきた。いかにも運転免許の試験官という感じの強面のおじさんだった。

 待合室の隣にある試験室に通された。名前を確認し、右半身付随の免許で間違いないですねと言われた。はいっと返事をする。それでは試験始めます。左手を握ったり開いたりしてください。麻痺していない方の手なのでもちろんなんの問題なく出来る。つぎに左手を上げたり下げたりしてください。これもなんの問題もない。つぎに私の足を左足で踏んでくださいと言われる。出された試験官の靴に自分の足を載せた。アクセルやブレーキを踏む感じで踏んでみてください、緩めてくださいといわれる。左足も麻痺していない方の足なのでなんの問題もなくできる。はい、実技試験合格です、と言われた。えっ、これで終わりですかというと、はい終わりです免許ができるまでお待ちください、というと部屋を出て行った。ドキドキしながら待ったのに拍子抜けするほど簡単な試験だった。一時間も待たされて試験は五分もかからずに終わった。

 これからの待ち時間がまた長かった。約一時間待たされようやく名前を呼ばれた。免許証交付の窓口で出来た免許を受け取る。出来た免許といっても、提出していた自分の免許の裏に、AT車の中型車と普通車に限る、中型車と普通車は左アクセルに限る。と手書きで書かれているものだった。たったこれだけを書くのに一時間もかかるんかいと思ったが、これで免許は無事入手できた。けっこう嬉しかった。

 障害者用の免許をとると考えると大変な事だと思ってしまうが、普通の運転免許でメガネの必要な人が簡単な視力検査をやって、眼鏡使用等と条件を書かれるのと同じなんだと感じた。障害の程度によってといろいろと違うと思うので簡単には言えないけどね。障害を持つ前に免許を持っていなかった人が新たに免許をとるというのはまったく別の話だからね。

 あとで考えてみると、お医者さんに書類を書いてもらうのが一番大変だったかなぁ。このブログを参考にして障害者用免許を取る人はお医者さんとのコミュニケーションが大事だと覚えておくといいと思うよ。

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

  

不自由なひとり旅 3

 

 脳卒中の後遺症で右半麻痺の体でもなんとか車に乗りたい。まずは運転免許から。ということで運転免許センターに申し込みにきた私は二階の部屋で担当者を待っていた。まもなく、もうすぐ定年?と思われるおじさんが入ってきた。申し込み用紙一式の入った用紙を渡され、体のどこに障害があるのか詳しく聞かれた。脳卒中の後遺症で右手と右足が不自由であることを伝えた。すると、私の場合は左足アクセルの車限定の免許になると教えてくれた。片手が不自由なことは免許には関係ないそうだ。また一つもの知りになった。

  これからの手順としては、まず病院で医師に専用の用紙を記入してもらうこと。ここで医師が運転してはいけないと判断したら免許はとれません。脳卒中の場合、片側の注意力が弱くなってしまう人も多いので医学的な判断で免許を申し込めない人もいます、とのこと。私は多分大丈夫だろうと思っていた。医師の書類が出来たらこちらに電話して実技試験の日程を決めてください。実技試験を合格すれば即日免許が交付されます。という説明だった。

 次の日に病院にいき、運転免許用の診断書を記入してほしいと受付の人に言ったら、一週間くらいで出来ます、出来たら電話しますと言われた。受付の人も慣れた感じだったので順調に進むだろうと思っていた。出来たという電話があったので病院にとりにいった。出来上がった診断書を見たら、なんと脳卒中の後遺症で右手と右足が不自由なので車の運転はダメという趣旨のことが書かれていた。体が不自由だから障害者用の免許を申し込むのに障害があるのでダメというのは本末転倒。先生、お願いしますよー!という感じだった。これでは趣旨がおかしいという事を説明して書き直してくれるようにお願いしたら、あと一週間お待ちくださいと言われた。脳卒中をたくさん見ている病院なので当然こうゆうことにも詳しいだろうと思っていたらそうでもないみたいだ。また一週間待った。その間にインターネットで調べてみると障害者の免許では医師の書類のところで苦戦したことが結構書かれていた。医師の考え方でなかなか書いてくれないこともあるみたいだ。医師の方針で運転免許が決まるっていうのもなんだかなぁ、と思いながら待っていると出来たという電話がきた。内容を確認すると、こんどは大丈夫そうだ。

 運転免許センターに電話して実技試験の日程を次の週に決めた。実技試験は実際どういう事をやるのかは説明されていなかったし、インターネットでも詳しい内容については見つけられなかった。どうゆう試験なんだろうとドキドキしながら試験の日を待った・・・

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

  

不自由なひとり旅 2

 

 脳卒中の後遺症の右半麻痺の体で一人暮らしを始めて約一年が経っていた。不自由な体での生活は不便なことが山ほどあったがなんとか克服しながら一年も経つとそんな生活にも慣れてきた。だいたいの事が出来る自信がつくと次のやりたい事を考えるようになっていた。自分で車を運転したい。好きなところに車で行けるようにしたい。というのが次の目標となった。

 車が運転できるようになりたいという事をいろいろな人に相談してみた。賛成する人と反対する人が真っ二つだった。反対する人たちは、不自由な体での運転だと事故の危険が心配だという理由がほとんどだった。賛成する人の意見は、障害があるからといって消極的なのは良くない。やりたいことがあったらどんどんやった方がいい、運転はいいと思う。という意見が多かった。友達や同級生などで、あまり障害者との関わりが少ない人は反対の人が多く、ケアマネージャーさんやヘルパーさん、友人でも家族に障害者のいる人など障害者が身近にいる人ほど賛成の意見が多かった。面白いもんだね。

 車を運転できるようになるためにとりかからなければいけないのが免許証。私は普通免許は持っていた。これを障害者用の免許にしなければいけない。インターネットでいろいろと調べてみた。ノウハウや体験談は結構な数がある。書く人によって違っていることもあり混乱するが、簡単ではなさそうだがなんとか一人で出来そうだ。

 だいたいの流れとしては、住所地の運転免許センターに行き、説明を受けて申し込みの用紙をもらってくる。申し込みの書類の中に医師に書いてもらう用紙があるので病院に行ってお願いする。医師に記入してもらう書類ができたら運転免許センターに電話して実技試験を受ける日を決める。実技試験を受けて合格ならば免許交付、という流れだ。

 だいたいの事はインターネットで調べたし行動に移す。まずは運転免許センターに電話し、障害者よう免許の申し込みをしたい旨を告げる。平日ならいつでもいいという事だったので次の日タクシーで向かった。運転免許センターの正面でタクシーをおり窓口に行こうとするが運転免許センターはとても広く私の杖歩行では大変で、まずは入り口付近のベンチで一休みした。それに気づいた女性の職員の人がすぐに駆けつけてくれて、車椅子を用意しましょうかと言ってくれた。親切だよねほんとに。

 二階の部屋まで車椅子を押してくれて、ここで待っているとじきに担当の人が来るのでお待ちくださいと言われ待っていた。ここからイロイロなドタバタ劇の運転免許騒ぎが始まるのだが次回に・・・。

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

不自由なひとり旅 1

 ある日突然、脳出血で倒れ、それから半年間入院。(くわしくは「脳卒中になっちゃった」をよんでね)その後、右側の半麻痺というおおきな障害を負って退院した。右側半麻痺の状態は、利き腕の右手はほとんど動かすことが出来ず、足の方は杖をつかってゆっくり歩けば数十メートルは歩ける程度。そんな状態で自宅のマンションで一人暮らしをという無謀と言われる生活を始めたのでした。

 リハビリで生活に必要な動きは練習したし、ヘルパーさんがほぼ毎日来てくれるということなのでなんとかなるでしょ、と思っていました。しかし、実際に暮らし始めて見ると思ったより大変。たとえば買い物。買い物はヘルパーさんにお願いしたり、ネットスーパーを利用するのですが食品などの包装をはがすのが左手だけだと大変。皆さんも一度、利腕じゃない方の手だけで買い物の包装をはがしてみれば大変さがわかると思う。普段は感じないと思うけど、どうしてこんなに無駄に包装してるのよ、片手が不自由な人はほんとに大変なんだから。野菜なんて昭和のころみたいに新聞紙にぱさっと包むだけでいいのに、と思ってしまう。

 風呂も大変だった。浴室は身障者用に手すりを取り付けたし、リハビリでも何度もやっていたので大丈夫と思い、ヘルパーさんにお願いせずに自分で入ることにした。お湯を張り、手すりにつかまりながらなんとか入浴。あーっ、やっぱり風呂は気持ちいいと思ったのだが・・・。浴槽から出ることが出来ない。左足しか使えないと浴槽から脱出できない。リハビリをした病院の浴槽では大丈夫だったのになぜ?なんとか脱出したが、あせったし相当疲れた。思わぬところに大変なことがあるものなんだね。風呂の件は自分で脱出するための体の使い方をマスターしたので今はなんとかなる。

 こうして、毎日ちいさな不便をなんとか工夫して乗り越えているうちに段々と楽しくなったきた。なんかパズルを解くようであったり、道具の使い方を工夫したり。一年が経つ頃にやっと日常生活での不便は克服できるようになった。それでも、やっぱり一年は係るんだね。

 最初の一年はほとんど家から出ることなく暮らしていた。たまに外の景色が見たい時は友達に車で向かえに来てもらい出かけていた。

 人間というものは一つ克服できるとまた次の欲望がどんどん出てくるものなんだね。日常生活の不便さをなんとか克服した私はもっと行動範囲を広くしたいと思うようになっていた。

脳卒中になっちゃった 10

 退院まで一ヶ月を切った頃、この病院では自宅に行き退院後に危険な箇所はないかなどをみてくれる家庭訪問をしてくれる。病院てそんなこともしてくれるんですね、知らなかった。私にしてみれば約半年ぶりに家に帰ることになる。私のほかに理学療法士作業療法士、退院してからケアをしてくれるケアマネージャー、そして親戚で訪問する。マンションの部屋の鍵を開け中に入った。そこは、倒れた私が救急隊に運ばれた時そのままの状態だった。なにか、なまなましいものを感じた。いろいろと見てくれて、メインエントランスに五段の階段があるので後一ヶ月の間に階段の練習をふやすこと、風呂には手すりを取り付けること、身障者用のベットを置く位置などが決められていった。退院するまでに親戚がやっておいてくれるとのこと。本当にいろんな人にお世話になる。

 病院にもどり翌日からリハビリのラストスパートが行われた。

 脳出血の六ヶ月の治療とリハビリの成果は右半身の片麻痺がのこり、右足は装具をつけた状態で杖歩行し数十メートル歩ける。数段の階段などもクリアできる様になった。右手は肘と肩は少し自分の意思で動かせるが残念ながら実用的な動きができるようにはならなかった。言葉と記憶等に関してはほとんど日常生活には困らないところまで戻った。早口言葉などは無理だけどね。

 結果的に、大きな障害が残ってしまった。しかし、もう精神的なショックなどは残っていない。退院後に問題がないかと言われれば、一番大きな問題として経済的なことが残っているし、いきなりの一人暮らしは無理ではないかという人もいた。だけど何故かその頃の私には根拠のない自信のようなものがあった。とりあえずやってみてダメだったらギブアップもありだという開き直りのような気持ちもあった。多少危険はあるので他の人には勧められないと思うけれど。

 体が元どおりにはならず障害の残る脳出血のような病気って、あきらめとどう精神的な折り合いを付けるかが大事なんだね。

 去年のクリスマスイブの前日に脳出血でたおれ、ギリギリのところで命を救われた。そして、たくさんの人にお世話になり、冬がすぎ、春がすぎ、青々とした葉が茂る季節となったいた。

 とうとう退院の日がやってきた。さすがに半年もいた病院を離れるのは感傷もあった。多くの看護師さんやスタッフに見送られた。車椅子ではなく、なんとか立って退院しようと頑張って正面玄関を出ることができた。

 さわやかで気持ちの良い初夏の風が吹いていた。

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

 

 

 ちょっとしたあとがき。

 「脳卒中になっちゃった」の入院編はおわりです。私の体験と気持ちを少しでも伝えられたらと思って書き始めたのですが伝えられたかどうかわかりません。へたな文章を読んでくれた方、本当にありがとうございます。

 「脳卒中になっちゃった」一人暮らし編をそのうちに書いてみようかなと思いながら、ちょっとお休みです。またね。