脳卒中入院 diary

脳卒中で入院していたときに思ったことなどを書いてみました

不自由なひとり旅 12

 不自由なひとり旅の三日目の朝。宮城県鬼首温泉のペンションにいた私は予期せぬハプニングにあっていた。まったく想像もしていなかった季節外れの大雪だ。20年以上、ここでペンションをやっているご主人も、この時期のこんな大雪は記憶にないという。私にとって助かったのは、車がスタッドレスタイヤを履いていたこと。毎年ゴールデンウィークにタイヤ交換をすることにしていたので助かった。夏タイヤならここで立ち往生だったね。

 朝食の後、ペンションをチェックアウトする。もっこりと車に積もった雪をご主人がきれいに片付けてくれた。玄関から車までの通路も雪かきしてくれた。私の足では雪道は歩けない。ほんとうにいろいろとお世話になった。フライフィッシグの話も出来て楽しかった。お礼を言ってペンションを後にする。

 この日の予定は青森の家へ帰るだけだ。山道の下りで、しかも久しぶりの雪道なので慎重に運転する。途中で、大きな温泉旅館が立ち並ぶ鳴子温泉郷を通り、山道を下りりきって少し行くと大崎市の中心部へとつづいた。私が20歳代の頃に1年だけ住んだことのある街だ。平成の大合併大崎市になる前は古川市という名前だった。当時住んでいたところを通ってみたが建物がなくなり駐車場になったいた。それでも町並みはほとんど変わってなくて懐かしかった。

 最寄りの入り口から高速に乗る。帰り道は東北自動車道で青森まで一直線。雪の残る宮城県内から北へ向かって走ると、どんどん雪がなくなり春の景色になるという不思議な体験をした。

 昼が近くなったのでパーキングへ立ち寄り、昼食を食べることにする。初日の秋田道にはレストランがなかったが東北自動車道にはたくさんある。前沢saに入った。こんどのひとり旅の最後の食事になるので、ちょっと豪華に前沢牛盛岡冷麺のセットをオーダーする。

 一休みした後、再び帰路へ。

 今回の「不自由なひとり旅」は、自由の効かなくなった体でひとり旅して大丈夫なのだろうか。大変なだけで、周りの人にお世話になり、楽しくもなんともないのではないか。どういうものか一度試してみようという目的だった。たしかに、ホテルの人やペンションのご主人にお手数をお掛けしたが、そんなに面倒なことはお願いしてないし許していただこう。みんな優しくて本当に助かった。観光地などで、行って見たくても歩けなくて行けないところは確かにあった。それでも「不自由なひとり旅」は有りか無しかと聞かれたら絶対に有りだ。やっぱり旅は楽しい。

 家に向かう高速道を走りながら、次はどこに行こうかと考えていた。     

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

 

 

 p.s.新型コロナウィルスが治まり、誰でも、何処へでも、旅ができる世界に戻るように祈りつつ、またね。

不自由なひとり旅 11

 不自由なひとり旅の二日目の夕方、宮城県鬼首温泉のペンションに到着した。部屋は二階で、エレベーターなどはないのでペンションのご主人の手をかりて部屋までいった。エレベーターとかバリヤフリーを求めるならホテルのほうがいいかもしれないが、人の優しさが伝わってきてこっちも悪くない。

 一休みした後で温泉に入る。私の不自由なの足だと、大きい浴場の温泉は転びそうで無理だが、このペンションの温泉は家庭用を少し大きくした位の浴室なので壁や浴槽を伝って入れそうだ。全国的に有名な鳴子温泉と同じエリアの温泉だけに泉質はとてもいい。2年半ぶりの温泉にゆっくりと浸かった。

 温泉を出るとダイニングで風呂上がりのビールを飲みながら夕食を待つ。スキー場のオフシーズンでゴールデンウィークの前だからだろう、客は私だけで貸し切りだ。

 ご主人が料理を運んでくる。洋食のコースだ。私はずっと以前に宮城県に住んでいたことがあり、ここのスキー場が好きで何度か来たことがあると言うと話がはずみ、いろいろ教えてくれた。オニコウベスキーリゾートはオープン当初、三菱地所が経営していてヨーロッパ風のとても雰囲気のいいスキー場で人気があった。しかし、経営が変わってから人気がなくなり客も減っちゃったんだって。ペンションのご主人は、もちろんスキーもするが、フライフィッシングという洋風の渓流釣りが一番の趣味で、雪のないシーズンはフライフィッシング繋がりの客が多いらしい。アウトドア好きだった私もフライフィッシングが大好きだったのでますます話がはずみビールの他に赤ワインも二杯飲んでしまった。スキーもフライフィッシングもこの体ではもう出来ないけどね。趣味の多い人ほどあきらめなければいけないものも多いけど、趣味で繋がっていた友人は残っているのでいろいろやってて良かったと思う。

 温泉とワインが効いたのか、この日も早めに寝た。

 早く寝たので次の朝は6時前に目が覚めた。窓の外を見て、ものすご~くびっくりした。雪が降っている。それも、チラチラと降っているのではない。まるで前が見えないほどの激しい吹雪。夜間ずっと降り続いていたのだろう、一面の銀世界だ。旅にハプニングはつきものだがこれはすごすぎる。

 朝食の時間になりダイニングに降りていった。その頃には雪はやんでいたが駐車場の車の屋根には30センチ位雪が積もり、かまくらのようになっていた。私の住んでいる青森市の冬だと一晩に30センチ積もることなど珍しくないが、4月中旬の宮城県でこんなことになるとは・・・・

 

 

  

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

不自由なひとり旅 10

  酒田市のホテルで目を覚ました。起き上がって服を着る。脳卒中の後遺症で右手と右足が不自由なので服を着るのも一苦労だが、着たり脱いだりが一人でやりやすい服を選んでいるし、だいぶ慣れてきたのですこしは早く着られるようになってきていた。

 ホテルの朝食はバイキング形式。片手が使えなくて使える手は杖を持っているので、自分でトレーを持ち食べ物をとってくるバイキングは無理だ。バイキングの会場にいく途中フロントににいたベテランのホテルウーマンに、私は体が不自由でバイキングは無理なのでどなたか手伝っていただけませんか、とお願いしてみた。もちろんいいですよ、と笑顔で答えてくれて一緒に会場までいってくれた。朝食会場の入り口近くの席に座り、洋風で料理の内容はお任せで、とお願いした。ホテルの人がもってきてくれた朝食の盛り付けを見て感動した。いかにもホテルの朝食という感じで美しい。私がバイキングをやると、男の盛り付けという感じでぜんぜんきれいじゃなくなるのだが流石にプロは違うなぁ、と思った。おかわりはホテルのものに声をかけてくださいと言って戻って行った。

 チェックアウトを済ませ車へ乗り込む。二日目の日程は酒田市から内陸の方向へはしり奥羽山脈をこえて宮城県大崎市にあるペンションを目指す。まっすぐ走ると二時間半の行程なので時間に余裕がある。酒田市内を走り回ってみる。著名な観光地は、だいたいが駐車場に車を止めて歩かなければいけないので私には厳しい。このへんが不自由なひとり旅の課題だね。

 酒田市を出て奥羽山脈越えルートに入る。曲がりくねった山道を音楽を聴きながら走るのは気分がハイになる。奥羽山脈のピークを越えるともうすぐ目的地。大崎市といってもそこは山の中でオニコウベスキーリゾートが近くにある鬼首温泉郷のペンション村だ。私は若い時に一年間宮城県に住んでいたことがあり、その時になんどか来たことのある思い出のあるスキー場だ。鬼首(おにこうべ)という恐ろしい名前だがヨーロッパ風のとてもおしゃれなスキーリゾートだった記憶がある。しかし、スキー場の脇を通るとなんだか寂れた感じだった。まあシーズンオフのスキー場なんてこんなものかと思う。

 ペンションに到着。玄関の呼び鈴を鳴らすとご主人が出迎えてくれた。私はちょっと体が不自由なのでお手数をお掛けするかもしれませんがよろしくお願いしますというと、なんでも遠慮なく言ってくださいと私のバックを持って部屋まで案内してくれた。

 昨日泊まったホテルもよいのだが、ペンションの方はそれとはまた違った良さがあるよね。私はどっちも好きなので今後も気分によって使い分けようと思った。

 

 

  

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

不自由なひとり旅 9

 車で不自由なひとり旅に出かけた私は秋田県にかほ市のコンビニにいた。遅めの昼食のサンドイッチと、今日の夜にホテルで飲むため秋田の地酒の小さい瓶を買った。おつまみと弁当も調達。コンビニの駐車場に止めた車の中でサンドイッチを食べながら時計を見たが、ご飯も食べず高速を飛ばして来たので、このペースだと目的地の酒田市まで計画より早く着きすぎる。どこかいい寄り道スポットはないかと思い、持って来ていたipadで調べてみた。コンビニの駐車場は無料でwi-fiが使えるので便利だよね。調べててみると目の前にそびえる鳥海山の5合目まで鳥海ブルーラインという道があり、ここから30分で行ける。ちょうどいい寄り道だ。鳥海ブルーラインはカーブの多い山岳道路。ちょっと気合を入れてコーナーリングを楽しむ。片手運転なのでそんなには攻められないけどね。5合目の駐車場で車を降りてみる。さすがに鳥海山の5合目は空気が冷たい。山頂の方を見上げると7合目から上はまだ雪が残っている。私はアウトドアが好きでいろいろやっていた。登山も結構やった。だけど今は、杖をついて数十メートルしか歩けない体だ。多分もう一生無理だろう。あきらめなきゃいけないところはスッパリとあきらめるしかないね。鳥海山への寄り道は気分が良かった。

 そこから再び酒田市へのルートへ戻って走ると夕方の4時半頃には酒田市のホテルに到着。ネットで予約した時には宿泊料が安かったのであまりいいホテルを期待していなかった。ついてみると思ったより綺麗なシティーホテルだった。入り口近くにある身障者用の駐車スペースに車を止めてフロントへ歩いた。チェックインを済ませるとホテルのフロントの人が私の足が不自由なのを見て、車椅子をご用意いたしますかと声をかけてくれた。ゆっくり歩けば大丈夫なので結構ですと言ってエレベーターへ向かった。このホテルではこれから結婚披露宴があるらしい。ドレスアップした人がロビーにいっぱいいた。幼稚園くらいの小さな男の子がかわいいスーツに蝶ネクタイをした姿でこちらをじっと見ていた。杖をついた変な歩き方のおっさんが気になったのだろう。目があったので、こんにちはと声をかけた。お母さんと思われる人が子供を向こうに引っ張っていった。あんまり見ちゃダメっと叱っていた。こっちは何にも気にしてないんだけどね。

 部屋のある5階でエレベーターを降りる。部屋がエレベーターから遠くて大変だった。今度ホテルを予約するときは歩く距離の短い部屋をリクエストしよう。部屋に入ってシャワーを浴び、買って来た秋田の地酒を飲みお弁当を食べた。なんの問題もなかった。脳卒中になっちゃう前から数えて2年半ぶりのロングドライブの疲れと、地酒が効いてぐっすりと眠れた。

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

不自由なひとり旅 9

  脳卒中で体が不自由になっちゃった私。それでもひとり旅がしてみたいと計画していよいよ出発の日。昨年の4月中旬、天気の良い日だった。朝10時ごろ私の住んでいる青森市から最初の目的地に設定した山形県酒田市に向かって車で出発。東北自動車道の青森インターから高速道路にのり、秋田県の小坂JCTで秋田道方面へ。快調なドライブだった。軽い朝食は食べて来たのだがそろそろ昼でお腹がすいてきた。昼食は高速のパーキングで食べようと考えていた。高速のパーキングのレストランは地元の特産物を使ったメニューがあり楽しみだった。しかし、早くも計画通りいかなかった。秋田自動車道にはレストランのあるパーキングはなかった。全然知らなかった。それくらい調べておけってやつだよね。高速をおりて食べ物屋さんを探そうにも秋田自動車道のこの区間は食べ物屋さんのありそうなところは通らない。腹減ったなぁと思いながらトイレだけのパーキングに入り自動販売機でジュースを買った。私の右手は動かせないのでジュースを飲みながら運転は出来ない。パーキングでジュースを飲み終わってから空腹のまま出発した。

 秋田自動車道から日本海東北道へ入る。日本海東北道はまだ全線開通してないので高速をおりて走らなければいけない区間がところどころある。一般道を走っていると左側に残雪がのこる美しい山並みの風景が広がった。コンビニがあったのでレストランはあきらめコンビニのサンドイッチですますことにする。コンビニは入り口のすぐ近くに車を止められるし、店内も狭くてあまり歩けない私には強い味方だ。だが問題もある。コンビニはカートを置いてある店とない店がある。カートを置いてある店だと杖代わりにカートを頼ればいい。私は、右手が使えなくて左手に杖をもっているのでカートのない店だと商品をもつことが出来ない。しょうがないので商品をバックや上着のポケットにいれてレジまで行くのだが、万引きしてると思われそうで嫌だった。まあ、見ればすぐに体が不自由なのが分かるので今まで何か言われた事はないけどね。それどころか東北地方のコンビニの店員はみんな本当に親切だ。レジで若い女の店員さんに、あの雪の残ってる綺麗な山はなんという山か聞いてみた。えっ、どの山ですかと店員さん。目の前の一番大きな山ですけどと言うと、不思議そうな顔で、鳥海山のことですか、と店員さん。この世の中に鳥海山を知らない人がいるなんて信じられないという口調で教えてくれた。地元の人にとってはあの有名な鳥海山を知らない日本人などいないと思っているのだろう。また一つ賢くなった。

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

不自由なひとり旅 8

 新型コロナウイルス騒ぎでとてもじゃないけどひとり旅のブログなんか書いてる場合じゃない、自粛しよう、と思ったんだけれど書いた方がいいというメッセージをいくつもいただいた。うれしいので自粛やめます。実際に旅をしたのは今から一年くらい前のことで新型コロナウイルスの前の話だからね。

 一年前のちょうど今頃、ゴールデンウイークのまえに「不自由なひとり旅」をやってみることに決めた。脳卒中になる前の私なら行こうと思ったらすぐにノープランで飛び出したりしたが流石に今の体では無謀なのでプランを考えることにした。入院生活半年間、退院してから約2年の間病院と自宅以外で寝たことはなかったのでいきなり長期の旅は無理だろう。どんなもんかお試しで2泊3日にしよう。どこにいこうかとGoogleマップを眺めてみる。あっ、読者の方に私の住んでいる場所を教えないと旅の目的地を書いても位置関係がわかんないね。私が住んでいるのは青森県青森市です。

 車の運転はもうだいぶ慣れていたので午前中二時間、午後二時間位は無理なく行けるだろう。せっかく身障者割引で高速道路が半額になるので高速も使おうかな。どうせ行くなら今まで通ったことのない道路や行ったことのない町がいい。などといろいろと考えながらみていくと、私の住む青森から日本海側を約300kmのところにある山形県酒田市が目についた。東北自動車道は何度も利用しているが秋田自動車道はあまり走ったことがない。酒田市も以前通ったことがあるだけでほとんど知らないし条件にぴったりと思えた。最初の目的地を酒田に決めた。

 二泊目は私の行きたいところが酒田の近くにあることを発見したのでそこにする。宮城県大崎市の鬼首スキー場にあるペンションにした。実は若い頃に一年だけ大崎市に住んでいたことがあって懐かしい。私が住んでいた頃は古川市という名前だった。酒田市から内陸方面に約二時間で着く。二日目は移動が少ないのでいろいろと寄り道できる。

 三日目は東北自動車道を使って帰宅。無理のないプランだとそのときは思っていた。

 旅行の目的は、半麻痺の体でひとり旅をするのはどんなものか試してみること。宿泊はどんなタイプが向くのか分からないので一泊めはシティーホテル、二泊目はペンションにした。温泉旅館のような和室は不自由な体ではベッドじゃなきゃ無理なので、本当は大好きなのだがあきらめる。

 明日出発。五十歳にもなって本当にワクワクして眠れなかった。

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし

  

不自由なひとり旅 7

 脳卒中で倒れて救急車で運ばれたとき、今後は車椅子での生活になる可能性がありますと言われた。そのときは、命が助かっただけラッキーだったのだから車椅子でもいいかと思えた。リハビリですこし立てるようになったら、やっぱり車椅子より自分の足で歩きたいという欲がでてきた。部屋の中なら杖歩行できるようになり、退院して自分のマンションにもどったら今度はもうすこし行動範囲を広げたいと思い、車の運転が出来るようになった。病院や買い物なら自分一人で行けるようになった。そうなると今度は旅に出たくなる。本当に人間は欲深いよね。

 私の体の状態は右半麻痺。右手はほとんど実用にならず、右足は杖歩行で数十メートルならなんとか歩ける状態。言語はほとんど困らない。カラオケでバラードなら歌えるけど早いテンポの歌は舌がまわらないっていう感じ。脳卒中は残念ながら珍しい病気ではなく半麻痺の人も珍しくない。リハビリの施設に行くと私と同じ程度の半麻痺の人を見かける。地方の施設でこれ位見かけるのなら全国では相当な数いるのだろう。

 おなじ障害を持つ人の多くは外出するのが億劫だという。ましてや旅などしようと思わないという。他の人に何かと迷惑をかけてしまうのがいやだし、好きなように歩けないのに旅行しておもしろいの?と思うらしい。それなら私がやってみようと思った。どれくらい人の手を煩わしてしまうのか、大変なだけで楽しくないのかどうか、やってみなくては分からないじゃないか。そしてブログを書いて同じ障害をもちもう少しいろんなところに行ってみたいと思っている人の参考にすこしでもなればいいなあと思いつつ。

 そんな時に新型コロナウイルス騒ぎ。とてもじゃないけど一人旅してブログなんか書いてる場合じゃないよね。いちばんいい季節なのに・・・コロナのバカヤロー!と心の中で叫びつつこの騒ぎが終わるまでこのブログをお休みいたします。あ~ぁ。またね。

 

 

 

 

筆者 50歳代 男 バツイチ ひとり暮らし